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あの人と、春日井と

日本舞踊家|藤間勘之介 2022.1

型を崩さず 型破りに

〝察する力〟は人としてのマナーにつながる

「日本舞踊には〝察し〟の文化があります。人の心中や物事の事情を推し量ることです」と勘之介さん。コロナ禍は、あらためて人との距離感を考える機会になったという。一つは物理的な距離。もう一つは、心の距離。特に後者について、相手の立場に立った配慮や思いやりが求められているのではないかと話す。「日本舞踊では礼儀、感謝の心を学びますが、これ実は〝当たり前〟のマナーだと思うんです。個性を尊重し、人間力が問われる現在こそ、人としてのマナーが大切。ですから是非、日本舞踊をおススメします」
勘之介さんは、コロナ禍を前向きにも捉えている。「孫の稽古を祖父母がZOOM中継で見て楽しみ、家族の距離が近くなったという人もいます。また、お稽古では、弟子と私の一対一になることも増えました。子どもにとっては非日常なので、ワクワクするよう。自然と甘さが消えて自立心も育つんです。稽古後も、自分から進んで着物を畳みます」

「うん」ではなく、「はい」が言えること

「日本舞踊は昔、読み書きと並ぶ〝たしなみ〟の一つでした。最初に習うのは、挨拶とお辞儀という基本中の基本です。背筋を伸ばし、発声にも気を配るので、今まで『うん』とか『はいはい』と言っていた返事が、自然と気持ちいい『はい』になるんです」。そんな子どもの変化をお母さんも実感しているという。「履物を揃えたり、普段しない正座も面白がってやるようになりました。着物を着るのも嬉しそうです」

日本舞踊って笑えるんだ

祖母から続く日本舞踊の家に生まれ、2歳で母親から手ほどきを受け、17歳で名執披露。「決められたレールを走っている感覚はなく、むしろ母は、日本舞踊を志すことに反対でした。『どうしてもやりたいなら、社会を知ってから』と諭され、大学卒業後は一般企業へ。でも、日本舞踊から離れている時間が重なるほどに、思いが募って―」。27歳で専心することを決めたという。「古典舞踊の需要がないことは分かっていますが、多くの方に触れてもらう機会を作りたいと思っています」
かすがい市民文化財団の事業「かすがい どこでも アート・ドア」で、保育園を訪れた時。「おかめやひょっとこのお面の早変わりに園児たちが声をあげて大笑いしてくれました。先入観なく、素直に見てくれて嬉しかったです」。小・中学校の体験教室では、馴染みの曲で踊る〝日本舞踊エクササイズ〟で、気軽に触れてもらうことも。「そういうきっかけがあって、日本舞踊を習う子どもたちもいます」と、楽しく稽古する日々だ。

生活文化の所作は日本舞踊から

仲間とコートを借りてプレーするほどの大のバスケットボール好き。ランニングも趣味の域をはるかに超え、体脂肪率はマラソンランナー並みの6%。「〝踊りのためだ〟と、意識はしていません。純粋に動くことが好きなんです。でも、日本舞踊は、日常生活の所作を表現していますから、根底では、普段の生活のすべてが、日本舞踊につながっているのかもしれませんね」。その穏やかな口調は、踊っている時のようにしなやかで、凛とした姿と重なった。

藤間勘之介Fujima Kannosuke

1992年生まれ、愛知県春日井市出身。8歳から本格的に日本舞踊を始める。16歳で八世宗家藤間勘十郎師より名を許され『藤間勘之介』を名乗る。東日本大震災チャリティコンサートで「長唄 松の三番叟」及びテノール歌手とのコラボレーションで「荒城の月」を披露。文化庁「伝統文化親子教室事業」チャレンジ日本舞踊キッズ教室講師、「かすがい どこでもアート・ドア」派遣アーティスト。


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音楽・美術・伝統芸能・演劇など、様々なジャンルのアーティストが春日井市内の学校などを訪問し、公演やワークショップをとおして「特別なアートの時間」をお届けします。